2007年05月15日

日本人の倫理観

最近倣岸不遜(ごうがんふそん)になっているタレーランであります。
「太陽にほえろ!」ゴリさんが、ごり押しのゴリさん」ならば、さしずめ僕は「ゴウさん」かな。なんか郷ひろみさんみたいでかっこいいですね。
倣岸不遜なので久々に「嫌い」なものを書きます。

先日読んだ本に興味深いことが書いてありました。環境保護運動が盛んになって久しいですが、人が思い描く環境――この場合は自然環境なのですけれども――は自分の子供時代のソレであることが多い、というんですね。つまりノスタルジーが含まれていると。この説が万人に当てはまるわけではなく、理性的に環境保全を考えていらっしゃる方はいるのでしょうが、ボクはうんうんとうなずいてしまいましたね。

他にも同じようなことが言ものはありますね。
「今の子供は」
「今の若い者は」
と言うときに、今と比較しているものは大体が自分の子供時代、若い頃なんですね。もちろん仕事やプライベートなどで子供さんや若者に接する機会が多い方は、過去自分が接してきた子供さんや若者たちと比較をしていることもあるでしょうね。
もちろん現在と過去の比較は単純にはできません。多分にノスタルジーによって美化された過去と、憂き世である現在との比較ですから、どうしても後者は分が悪い。
だから子供さんに
「今の子は」
というお説教はマイナスにしかならない。兄弟との比較、他の家の子供さんとの比較、これもまたやってはいけないことだけれど、これらよりも理不尽ですから。正当に競争して乗り越えることができないのですから。
しかし
「今の若い者は」
というのはありかなと思いますよ。「若い」といえ実年齢はさまざまで、ボクでも若造呼ばわりされることがありますし、ボクの親父の世代でも若いと言われることはあります。政治家の世界ではそうですよね。
ともかく「若者」に立ち塞がる頑固者がいてもいい。それははるか昔から繰り返し繰り返し続けられてきただろうことでしょうから。

さてここからが本題なんです。
日本の倫理観を論ずるときに
「今の社会は倫理観が薄い」
とおっしゃる方がいらっしゃいます。これも「今」と比較される過去は、ご自分の幼少期であることが多いのではないでしょうか。あるいはお若い頃かな。いつの時代でも周囲の大人たちは子供さんや若い人には倫理観を強く要求しますから、その頃が倫理観の強い時代だったと、感覚的に思っちゃうんでしょうね。あくまでボクが感ずるところですけどね。
どのみち人の心に関することですから、客観的なデータはとれない。犯罪率やら家庭内暴力やらのデータはあるでしょうが、それらから導き出そうとしても難しいでしょう。ましてや青少年の意識調査などの抽象的なものを対象にしたアンケートはむやみに参考にするのはあぶない。
だからそのような思い込みからくる警告を発し続けるのは良いことだと思います。先に書いた「今の若い者は」と同じで、いつの時代でもシニアはジュニアの重石になっていなければならない。

とはいえ自分が生きてもいない時代のことを持ち出してどうこういうのはさすがにいけないと思いますよ。これも一部の識者に見られる主張なんですけれども、明治期や江戸期の日本と現在を比較して
「今の日本はだめだ」
とおっしゃる。極端な人になると、過去の方が良いのだから、それに戻すべきだと考えている場合もある。
これは失礼ながらものすごく能天気な考えですよ。
明治期はまだしも江戸時代となると、われわれの一人として体験者がいないじゃないですか。何を根拠にそんな主張をするのでしょうね。

こういった方々は過去の道徳律、記録に残っている道徳律を見てそう思い込んでいる。「武士道」なんてのがそうです。武士道があるから、昔の日本人は、または武士は高潔であったと思い込んでいる。
冗談を言っちゃあいけない。高潔であれば武士道なんかいるものか。泥棒がいなければ鍵が要らないのと同じで、武士道にせよ、西洋の騎士道にせよ、彼らが物心両面で没落してからできたものです。
時代ドラマで人気の新撰組は「誠」を旗印に、実に厳しいルールでもって隊士たちを統率していました。
   一、士道に背きまじきこと。
   一、局を脱するを許さず
   一、かってに金策いたすべからず
   一、かってに訴訟を取り扱うべからず
   一、私の闘争を許さず
   右の条々に背候者は切腹申付べく候也

これは子母澤寛さん『新選組始末記』に見える「局中法度」です。
*ただしこれが本当にあったかどうかは現在は疑問視されています。


ともかく彼らは非常に厳しいルールを作り、それに背いたものをしばしば切腹させました。
だからといって彼らが高潔であったとか、逆に堕落していたとか言うのははなはだ短絡的であります。また「士道」に必要以上にこだわっているのも、彼らの多くが本来の武士ではなかったからです。

確かに武士道というのはすばらしいものです。道徳律というのはたいていどれでもすばらしいものです。
だからといってその時代がすばらしかった訳でも、その時代の倫理観がすばらしかった訳でもありません。
ボクは江戸時代や明治時代、(そして一部の方が唱える戦前)を闇雲に美化する人、そして現代をけなす人は「アブナイ人」と認識してます。識者と呼ばれる人なら特にです。
ゆえに一部の大学教授や政治家は嫌いです。
【関連する記事】
posted by タレイラン at 22:46| 🌁| Comment(3) | TrackBack(0) | 嫌い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
倣岸不遜?

えええ〜!そりゃまた、タレーランさんには似合わない形容ですねぇ。

オレにはタレーランさんは、
「やり過ぎる程、あちこちに気を遣う人」のように見えて仕方がないんですが。

だってタレーランさんの記事の場合、

「前置き」→「主張」→「主張に対する注意点(お断り)」→「知識解説」→「非断定的結論」

とか言って、主張を過程でも結論でも、極力ソフトにしようという力を働かせるじゃないですか。
これじゃあ、まるで暴言になってないですよ(笑)

タレーランさんが暴言なら、オレのは爆言、その他もっと毒っぽい好き嫌いの記事を書く普通のブロガーさんたちのは、呪詛というところでしょうか?(笑)

ところで、「一部の識者」って、どんな人たちですか?いや、具体的に(笑)
Posted by スカイアイ at 2007年05月23日 22:37
スカイアイさま
ありがとうございます。そですか。傲岸不遜は返上せねばなりませぬか。「傲岸不遜のゴウさん」、気に入っていたのですが。

それにしても鋭い解析ありがとうございます。傲岸不遜にぶっちゃけようと思ったんですが、生来の小心者ゆえ、フォローしてしまったというのがホントのところ。
傲岸不遜というよりは竜頭蛇尾といったほうがよいですな。「竜頭蛇尾のリュウ」、これもなかなかよいニックネームかもしれません。

ちなみに一部識者とは最近話題になった武田さんとか、渡部教授とか、都知事さんです。
Posted by タレーラン at 2007年06月25日 22:10
戦争に負けるまで大半の日本人は土地に縛られた小作人だわな。戦争に負けたお陰で自作農になれて、土地売って都会に出たりガキを学校やったりできたわけだわな。ほんとなら中国で全員縛り首にされても文句の言えん犯罪者軍団もみんな小作の出だわな。周恩来の陰謀でこいつ等は無罪放免日本に送還されたわけだわな。日本〜東京の戦後はこういう田舎の下層階級と強盗・殺人・強姦・放火やりたい放題の犯罪常習者が世に溢れることから始まったんだわな。んだから、こいつ等がせっせと作ったガキどもが日本中を覆うようになった昭和40年代後半(2世代にわたる下層&犯罪者の家系が世を覆う事態に)を境に日本は変わってしもたんだわな。世は変っても小作は小作。都会で会社の小作(リーマン)やっとっとるんだわな。農耕民族とは言い得て妙だわな。
Posted by 斜視の帽子男 at 2009年04月30日 11:48
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。