2005年05月31日

好きな食べ物

キンピラゴボウ

きざんだゴボウをごま油でいため、醤油と砂糖で煮て、刻み唐辛子をかけた食物。きんぴら。〔牛蒡(ごぼう)がかたくて辛いのを「金平」になぞらえたもの〕

三省堂提供「大辞林 第二版」より

*金平というのは坂田金時(あの金太郎)の息子で、怪力の持ち主だそうです。


トマトの頁でも述べましたように、ボクは単純な男で、食べ物の好き嫌いもすぐに他に影響されてしまいます。
幼児期、ポパイを見てホウレンソウが大好きになったり、小学生のとき、日本ハムに勤めていた叔母がお土産にくれたサラミソーセージを食べ過ぎてもどし、あまり好きでなくなったり。

このキンピラゴボウもそう。中学生のときに読んだ横田順彌さんの『脱線! たいむましん奇譚』を読んで大好きになったんです。
内容はタイトルでお分かりのようにSF。それもユーモアSFを通り越したハチャメチャSFであります。

その中の主要人物、松戸歳圓(まつど・さいえん:いかにも、なネーミングだなあ)博士がタイムマシンを発明した動機が、これも自身が発明した「ゴボジン」を北京原人に伝えるため。
ゴボジン。文字通りゴボウニンジンのあいのこで、両者がストライプ状になっているため、これ一本でゴボウもニンジンも食べられる、という代物。しかしなぜゴボジン?
そう、ここでキンピラゴボウが出てくるのです。松戸博士の生家は貧しかったため、少年時代、博士は大好物のキンピラゴボウが食べられなかった。ゴボウが手に入ればニンジンが、ニンジンが手に入ればゴボウが手に入らない。両方一度に買えないほど貧乏だったんですね。
で、血のにじむ苦労の末にゴボジンを開発。そしてそのゴボジンを過去に伝え、少年の自分がたらふくキンピラゴボウを食べられるように、とタイムマシンを開発したのでした。

いやあ、このくだりを読むたびゲラゲラ笑えます。もう四半世紀前に読んだのに今でもキンピラゴボウといえばこの作品が連想されるほど。

それ以来キンピラゴボウが大好きになったんですが、この料理も作る人によってだいぶ味が違うんですね。
ウチの母のは甘みと辛み、両方あります。
昔大好きだった女の子が作ってくれたのは鷹の爪をふんだんに使ったピリリと辛いものでした。

コンビニなどでお惣菜として売っているんですが、買おうとは思いません。
やはりキンピラゴボウは家庭の味、ですからね。

それにしても松戸博士、北京原人に渡したって、現世まで伝わらないですよ〜!
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2005年05月25日

嫌いな食べ物

トマト
ナス科の一年生作物。南アメリカ熱帯地方原産の多年草。日本では明治以後栽培が始まり、大正末頃一般化した。高さ約1メートル。葉は羽状複葉。茎・葉は軟毛を密生する。花は黄色。果実は卵円形から扁球形で赤・紅・黄色などに熟し多肉質多汁で甘酸味がある。生食するほか、ジュース・ピューレ・ケチャップ・ソースなどを作る。多くの品種がある。蕃茄(ばんか)。あかなす。[季]夏。             三省堂提供「大辞林 第二版」より


小さい頃は好き嫌いが結構ありました。
セロリ、ピーマンなどの定番から、卵の白身、なんてのも。ボクには一つ下の妹がいるんですが、彼女は卵の黄身が嫌い。で、ボクは白身が嫌い。で、お互い嫌いなものを取替えっこして親に怒られました。

これらはうんと小さいときの話です。まだ味覚が未発達だったし、ワガママだったので好き嫌いが多かったんでしょう。もちろん、嫌いだからといって食べ残すことは許してくれませんから、嫌いなものが出たら息を止めて泣きそうな気持ちになりながら食べたものでした。
もっとも小さい頃の「嫌い」は食べず嫌いもだいぶあって、ひょんなことで嫌いが好きに転じることもあります。ボクの場合ホウレンソウがそれで、テレビマンガ「ポパイ」を見てからはホウレンソウが大好きになりました。

そんなふうですから、成長するにしたがって自然と好き嫌いは減ってゆく。
外で遊んだり体動かしたり、成長期ですからいくらでも食べられる。好き嫌いなんていってられないんですね。ボクは小学校二年生から高校卒業まで剣道をやってましたが、体を動かせば腹が減る。味は二の次、三の次。ともかく量がたっぷりあればよかったんです。

そして大学に進み、自炊を始めると事態はもっと切実になります。
自炊というのは意外にお金がかかる。外食オンリーよりは安いかもしれないけれど。
お金が苦しくなるとろくなものが食べられなくなる。食べ物があればいい。何でもあればいいんです。食べれれば。好き嫌いなんてものすごく贅沢なことになってしまうんです。
特にボクは料理が苦手でしたから、苦しかったですねえ。で、「料理がうまい人」にあこがれました。実際に料理の得意な女性や男性と知り合いになり、付き合ったりしました。もちろんボクは食べるのと後片付けの担当。

いろいろな人の料理を食べるといろいろなことが分かります。当たり前ですが料理にも個性がある。今までうまくもまずくもないと思っていた食べ物、それがある人に料理されると大変身。食べても食べても飽きないほど美味しくなることがあるんです。別の食べ物はまた別のある人の手にかかって大変身。そんな経験を繰り返すうち、世間はなんて美味しいもので満ち溢れてるのかと感動しました。


まあ、そうして好き嫌いは殆ど無くなったボクなんですが、トマトだけは未だに苦手です。
ケチャップやジュースならいいんですが、トマト本体がダメ。
甘いのかすっぱいのか、硬いのかグニュッと柔らかいのか、食べるまで油断ができない。見た目少し青くなってるのはすっぱくて美味しくないんだろうな、なんて思ってるとこれが意外にあっさりしてて美味しかったりする。
そういう意外性が苦手なんです。

でも厄介なことにトマトはとても栄養がある。
苦手だと何日も食べなくなっちゃうので、意識して毎日食べるようにしてます。
そしてボクは嫌いなものから食べる主義なんで、毎日トマトをまず第一に食べてます。すると周囲の人が誤解しちゃうんですね。トマトが好きなんだろう、と。好きなんだろうからよかったら私のも食べてくださいよと親切に言ってくださる人もたまにはいるんです。
ホント、トマトには苦労させられてます。

そんなトマトですが、巷では人気者。
「トマトが赤くなれば医者が青くなる」と言われるほど栄養満点の野菜としての人気。
その鮮やかな色彩から「黄金のりんご」なんて呼ぶ国もあるとか。見た目の人気。
そして情熱の赤。そこから恋人たちを祝福する野菜とも呼ばれてもいます。ロマンの香り漂う野菜なんですね。


昔、『異邦人』で鮮烈なデビューを飾った久保田早紀さん。彼女のサードアルバム『サウダーデ』はその大半がポルトガルで録音された歌。その中に「トマト売りの歌」というステキな曲が収められています。
トマト売りのおじいさんのモノローグという体裁の歌なんですが、彼の語る内容は、若き日の颯爽とした自分のこと、その当時のきれいな女性たちのこと、そして太陽からこぼれた恋の赤い実のこと。
そんなユーモアあふれる、そしてちょっぴり切ない歌です。
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2005年05月19日

好きになった女(ひと)5

ジナイーダ (Zinaida)
 『はつ恋』<イワーン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ(1818〜1883)1860年作>のヒロイン。
主人公ウラジミール・ペトローヴィチは16歳の夏、避暑に赴いた別荘で初めての恋をする。相手は隣の別荘の娘、公爵令嬢ジナイーダ。美しく聡明な彼女は常に何人かの取り巻きにかしずかれていた。そんな彼女も初めて本気の恋をする。その相手とは。。。


『彼女は恋に落ちた』と、我ともなく、わたしの唇はささやいた。 ……『だが、いったい誰に?』




ああ、思い起こせばボクにも初恋があったはず。。。なんですが、よく覚えてません。
幼稚園のときの先生だったのか、
小学校1年生のときの双子の同級生だったのか、
中学校2年生のときの双子の同級生だったのか、
高校生1年生のときの生徒会の先輩だったのか。。。

随分と気の多い人間でしたね、ボクは。

高校時代はドイツ文学と太宰治に没頭してましたんで、ロシア文学なんて目もくれませんでした。重い、暗い、なんて勝手にレッテル貼って。
この『はつ恋』を読んだのはNHKラジオでやっていた朗読劇を聞いたのがきっかけです。
主演の少年を演じたのは誰なのか、声は覚えてるんだけど名前が出てきません。
でもヒロインのジナイーダは覚えてます。。。竹下景子さんでした。

まだ若く、才女として有名だった竹下さん。でも取り澄ました様子はなくて、ジナイーダのキャラに少し合わないんじゃないかな、と思ったんですが、なかなかどうして。
少年の前で気まぐれな優しさを見せる魅力的な女性、そして報われぬ恋に悩むまるで少女のような純真さ。こんなジナイーダの多重性をうまく演じていらっしゃいました。声で。

少年にとって美しき年上の女性、っていうのは永遠の憧れなんでしょうね。少なくともウラジミールとボクにとってはそうです。

おお! 憧れのお姉さんといえば、ウルトラセブンのアンヌ隊員がいました! これがボクの初恋、だったんだろうか?
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2005年05月13日

好きになった女(ひと)4

イザベル・アジャーニ(Isabelle Adjani)

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本名イザベル・ヤスミン・アジャーニ。1955年6月27日フランス、パリ生まれ。1969年「小さな木炭商 (Le Petit Bougnat)」でデビュー。
出演作「ポゼッション」「ザブウェイ」「王妃マルゴ」「悪魔のような女」など多数。


スミマセン、えらそーなことを並べ立ててますが、ボクはこの人の映画を全部見てるわけじゃあないんです。
たとえ1作でも彼女の魅力は十分分かると思います。ですが、2作、3作と見続けることによって、その魅力はどんどん大きくなっていくことに気づくでしょう。

ボクも若いときに芝居をしていたことがあるんです(主に脚本だけど)が、俳優というのは因果な商売です。
舞台の上でさまざまな人生を演じなければならない。だけどそのいずれも本物じゃあない。本物に限りなく近づくことはできるけど、それでも本物じゃない。でもその本物じゃないことが彼らの真の姿。
そしていい舞台、いい映画、に恵まれなければどんなに才能があろうと世に出ることはできない。若き日のダスティン・ホフマンのように。

そういった点でイザベルはいい映画に恵まれ、若くしてその才能を開花できた実にうらやましい存在であります。
誰もが認める美貌と、演技力。もう50に近いのに20代の役もこなせる、年齢すら超越した演技力。

もちろん、それは彼女の演技にかける情熱、執念と努力があってこそ、なんですが。
ですから、ボクは彼女、に限らず俳優の私生活には興味ありません。誰と結婚しようが、不倫しようが、ボクにとっての彼らはスクリーンの上、舞台の上がホンマモンなんです。

個人的には「ノスフェラトウ」(1979)のイザベルが一番好きです。その美しさ、そのはかなさ、そして(はかないのに)存在感。随分昔の映画なのに、一度しか見ていないのに、イザベルというと、あの映画のイザベルが今でもまず脳裏に浮かぶのです。
posted by タレイラン at 04:28| 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 好き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月08日

好きになった女(ひと)3

中村紘子さん

東京都出身。1959年日本音楽コンクール第1位特賞。1965年ショパン国際コンクール第4位。日本を代表するピアニストとして演奏活動はもとより、若手の指導育成にも努める。またエッセイストでもある。
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ボクは音楽はワカリマセン。
音痴ではないのですが、音感が無い。楽譜も読めないし、CDもめったに買いません。
音楽を聴くことはまれです。
そんなボクが中村さんを知ったのは、旦那さんが庄司薫さんだから。高校2年の秋、大好きな小説家、庄司さんの奥様が有名なピアニストだと聞いて、レコード屋(懐かしい響きですね)に行き、ジャケットを見て
「なんてキレイで上品な人なんだろう」
と面喰いなボクはその場でそのレコード、ムソルグスキー : 組曲「展覧会の絵」を購入したのでした。
家に帰り、早速聞いてみました。
びっくりした。めったに聞いたことは無いのだけれども、それでも素晴らしいものだと分かりました。有名な「プロムナード」、かわいらしく生命あふれた「卵のからをつけたひなの踊り」 、力強い「キエフの大門」などなど。今でもはっきりと聞こえてくるようです。

後にテレビに出演されているのを何度か見ましたが、ジャケットで見たとおりの美しさ、そしてやさしい語り。
今度の休日には久々に中村さんのショパンを聞こうと思います。

posted by タレイラン at 00:51| 🌁| Comment(0) | TrackBack(2) | 好き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月06日

好きになった女(ひと)2

イレーヌ・カーン・ダンヴェール 1872年〜?
「イレーヌ・カーン・ダンヴェル嬢の肖像」ピエール・オーギュスト・ルノアール画(1880年)

Irene Cahen d'Anvers ルノアールの後援者の一人であった、パリのユダヤ系銀行家、ルイ・カーン・ダンヴェルス氏の末娘。この絵の描かれた当時は8歳。後にサンピエリ伯爵夫人となる。
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まるで人形のような透き通った肌と流れるような美しい赤毛。
中学校1年生のときに知り合いの家のトイレに貼ってあったカレンダを見て、心を打たれました。
ルノアールは日本でも人気のある画家ですが、この絵はその中でも特に人気が高く、たくさんの人がネット上で壁紙を提供しています。
それにしても当時8歳。中学生だったボクにはもう少し年上に、10〜12歳くらいに見えましたね。

その後の彼女のことも調べてみたのですが、まだわかりません。
1872年生まれということはナチスがフランスを占領したときにも生きていた可能性があり、ユダヤ人であった彼女のその後が非常に気になります。


posted by タレイラン at 02:39| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 好き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月03日

好きになった女(ひと)1

ここでは古今東西、我が人生で好きになった女性を書き連ねていきます。

北政所(寧々)  1549年〜1624年

豊臣秀吉の正妻。寧々(ねね)、お寧々は愛称、通称で、正しくは禰子(ねいし、ねいこ)。朝廷より豊臣吉子の名前をもらった。


古今東西、いきなり古い女性を出してしまいました。ボクが中学二年生のとき好きになった女性であります。「本当かよ〜?」なんて声が聞こえてきますが、本当です。

彼女は14歳(数え年)で25歳の木下藤吉郎(秀吉)と結婚しました。当時のボクの年齢と大差ありません。昔は早くから婚姻するとはいえ、ちょっとビックリです。

中学生だったボクは山岡荘八さんや司馬遼太郎さん、吉川英冶さんの歴史小説を読み漁ったんですが、どなたも「太閤記」を書いてらっしゃるんですね。歴史小説家にとって「太閤記」は共通課題のような気がします。それだけ魅力的なのでしょうね。
で、どの「太閤記」を見ても寧々はよく描かれている。秀吉が天下を取れたのは寧々が家内をよく治めていたからだ、というんですね。まさに良妻。

それだけじゃあないんです。彼女はかわいらしいところもある。
秀吉が長浜城主に出世して、側室を持つんですね。これはまあ当時としては当たり前のことで、武士にとって個人よりも家が大事。その家を継ぐ子供をもうけることも大切な役目でしたから。その上寧々には生涯ついに子供が生まれませんでした。だから余計に、秀吉はあせったでしょうね。生涯、たくさんの側室を持った。
この長浜城主時代、秀吉は南殿、名前は分かりませんけれども、たぶん館の位置か名前を取って、南殿と呼ばれた女性を側室に迎え、子供を生ませるんですね。これが寧々には気に入らなかった。理屈では分かっているのだけれども、感情が収まらなかったのでしょう。安土城にいる信長に訴えるわけです。自分の旦那の行状を。
安土城ができたのは1576年。このとき寧々はまだ28歳(数え年)ですから、いくら当時ではとうがたった年齢といえ、やきもちを焼くのも無理ないかな、と思えます。

その時信長が寧々に宛てた手紙が今でも残っています。

(前略)
その方も前にあった時に比べて倍くらい美しくなっている。
藤吉郎秀吉がなにか言っているが、言語道断。
どこを訪ね歩いても、あの禿ねずみにはその方のような女性は見つからない。
これから先は陽気にふるまい、奥方らしく心を大きく持ってやきもちなどは妬かないように。
夫を立てるのが女の役だから、慎み深く世話をしてやるように。
この手紙は羽柴にも見せること。かしこ


あの鬼神、信長の優しい一面を伝える貴重な手紙です。
若い頃はサルと呼ばれていた秀吉も、中年になってハゲねずみ扱い。
一方で寧々の美しさをほめ、他方で「奥方らしく」と自制を説いている。じつにほほえましいですね。ここから伝わる寧々の有様も実にかわいらしい。そんな寧々だから信長の優しい面も引き出せたのでしょうか。

長浜城主時代生まれた秀吉の子供はわずか七歳で世を去ります。
秀吉はこの子を非常に可愛がっていたようで、後に主君信長の四男を養子にもらい、死んだこと同じ秀勝という名をつけます。この秀勝も若くして死ぬのですが、その後も姉からもらった養子にまた秀勝と名づけます(有名な秀次の実の弟です)。よほど愛着があったのでしょうね。

寧々はその後、やきもちを焼くことなく、次々に来る養子、一族から来る養子も、人質として預かる養子も分け隔てなく接したそうです。
徳川家康の次男、秀康も若くして秀吉の養子(人質)になりましたが、終生この養父母を慕っていたそうです。
posted by タレイラン at 01:27| Comment(6) | TrackBack(0) | 好き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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