2007年06月25日

愛の終わりに

以前書きましたように、ボクが高田みづえさんのファンになったのは、彼女の歌手暦の後半、1982年の「愛の終わりに」という歌を聴いてからです。
それまでも「硝子坂」や「パープルシャドウ」、「潮騒のメロディー」、「私はピアノ」、「涙のジルバ」等を歌っていたのは知っていました。しかし、なにせもともと歌番組はほとんど見ない/聴かない人間。加えて中2から、友人たちとともに地元の神社に二年参りに行く習慣ができてしまい、紅白歌合戦もそれ以来見ておりません。
ですからボクにとってみづえさんも他の歌い手さんと同じ存在でした。
ところがある日、ラジオでみづえさんをゲストにした番組が流れ、そこで「愛の終わりに」を聴き、その歌唱力にびっくり。レコード店にゆき、ジャケットで彼女の写真を見て二度びっくり。
「こんな綺麗な女性が、綺麗な声で、綺麗な歌を歌うのか」

当時ボクは18歳。みづえさんは22歳。
思春期の少年にとって綺麗なお姉さんというのは、ナポレオンやヒトラーを超えるカリスマを備えているものです。
それ以来彼女のレコードを買いあさったのは言うまでもありません。

彼女の歌を振り返ると、「愛の終わりに」は一つのターニングポイントではなかったかな、と思います。それまでにも大人の恋愛(というより失恋)を歌ったものも多くありましたが、それらはどちらかといえばお洒落な歌。恋愛が伴っているある種の泥臭さをあまり感じさせないものでした。「愛の終わりに」や後に出た「秋冬」は、演歌とまではいかなくても、お洒落では済まされない、奇麗事では済まされない女性の心情を、これまた演歌とは異なるストレートに綺麗な声で歌っておりました。
*以上、あくまでボクの感想です。演歌が泥臭いとか、演歌歌手の発声に文句をつけているわけではありません。

当時はただみづえさんの姿や声にほれていましたが、その後いろいろと、まあいろいろと、ホンマにもういろいろとありまして、彼女が歌っていたその内容が実に身にも心にも染みるようになりました。
作詞作曲は花岡優平さん。ご自身ミュージシャンとしてこの歌も歌っておりました。ボクが聞いた話では、花岡さんの歌を聞いたみづえさんが、ぜひ歌いたいと頼み込んだそうです。

人の心が変わるのは、ある種やむをえないこと。
それは実は自分が変わったからかもしれないし、自分が変えたのかもしれない。
別れの予感に悲しみつつも、仕方ないとあきらめてもいる。
そんな心情を歌っています。
失恋したことで笑われても、人を愛せない人よりは幸せ
という詞の内容ははもちろん、彼女の美しい声がそれをいっそう引き立て聴く人の心を震わせます。

ボクがこの歌を本当にわかったのはハタチを超えてから。
つまりそれまでの恋愛は子供のお遊びだったんやね?
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2007年05月15日

日本人の倫理観

最近倣岸不遜(ごうがんふそん)になっているタレーランであります。
「太陽にほえろ!」ゴリさんが、ごり押しのゴリさん」ならば、さしずめ僕は「ゴウさん」かな。なんか郷ひろみさんみたいでかっこいいですね。
倣岸不遜なので久々に「嫌い」なものを書きます。

先日読んだ本に興味深いことが書いてありました。環境保護運動が盛んになって久しいですが、人が思い描く環境――この場合は自然環境なのですけれども――は自分の子供時代のソレであることが多い、というんですね。つまりノスタルジーが含まれていると。この説が万人に当てはまるわけではなく、理性的に環境保全を考えていらっしゃる方はいるのでしょうが、ボクはうんうんとうなずいてしまいましたね。

他にも同じようなことが言ものはありますね。
「今の子供は」
「今の若い者は」
と言うときに、今と比較しているものは大体が自分の子供時代、若い頃なんですね。もちろん仕事やプライベートなどで子供さんや若者に接する機会が多い方は、過去自分が接してきた子供さんや若者たちと比較をしていることもあるでしょうね。
もちろん現在と過去の比較は単純にはできません。多分にノスタルジーによって美化された過去と、憂き世である現在との比較ですから、どうしても後者は分が悪い。
だから子供さんに
「今の子は」
というお説教はマイナスにしかならない。兄弟との比較、他の家の子供さんとの比較、これもまたやってはいけないことだけれど、これらよりも理不尽ですから。正当に競争して乗り越えることができないのですから。
しかし
「今の若い者は」
というのはありかなと思いますよ。「若い」といえ実年齢はさまざまで、ボクでも若造呼ばわりされることがありますし、ボクの親父の世代でも若いと言われることはあります。政治家の世界ではそうですよね。
ともかく「若者」に立ち塞がる頑固者がいてもいい。それははるか昔から繰り返し繰り返し続けられてきただろうことでしょうから。

さてここからが本題なんです。
日本の倫理観を論ずるときに
「今の社会は倫理観が薄い」
とおっしゃる方がいらっしゃいます。これも「今」と比較される過去は、ご自分の幼少期であることが多いのではないでしょうか。あるいはお若い頃かな。いつの時代でも周囲の大人たちは子供さんや若い人には倫理観を強く要求しますから、その頃が倫理観の強い時代だったと、感覚的に思っちゃうんでしょうね。あくまでボクが感ずるところですけどね。
どのみち人の心に関することですから、客観的なデータはとれない。犯罪率やら家庭内暴力やらのデータはあるでしょうが、それらから導き出そうとしても難しいでしょう。ましてや青少年の意識調査などの抽象的なものを対象にしたアンケートはむやみに参考にするのはあぶない。
だからそのような思い込みからくる警告を発し続けるのは良いことだと思います。先に書いた「今の若い者は」と同じで、いつの時代でもシニアはジュニアの重石になっていなければならない。

とはいえ自分が生きてもいない時代のことを持ち出してどうこういうのはさすがにいけないと思いますよ。これも一部の識者に見られる主張なんですけれども、明治期や江戸期の日本と現在を比較して
「今の日本はだめだ」
とおっしゃる。極端な人になると、過去の方が良いのだから、それに戻すべきだと考えている場合もある。
これは失礼ながらものすごく能天気な考えですよ。
明治期はまだしも江戸時代となると、われわれの一人として体験者がいないじゃないですか。何を根拠にそんな主張をするのでしょうね。

こういった方々は過去の道徳律、記録に残っている道徳律を見てそう思い込んでいる。「武士道」なんてのがそうです。武士道があるから、昔の日本人は、または武士は高潔であったと思い込んでいる。
冗談を言っちゃあいけない。高潔であれば武士道なんかいるものか。泥棒がいなければ鍵が要らないのと同じで、武士道にせよ、西洋の騎士道にせよ、彼らが物心両面で没落してからできたものです。
時代ドラマで人気の新撰組は「誠」を旗印に、実に厳しいルールでもって隊士たちを統率していました。
   一、士道に背きまじきこと。
   一、局を脱するを許さず
   一、かってに金策いたすべからず
   一、かってに訴訟を取り扱うべからず
   一、私の闘争を許さず
   右の条々に背候者は切腹申付べく候也

これは子母澤寛さん『新選組始末記』に見える「局中法度」です。
*ただしこれが本当にあったかどうかは現在は疑問視されています。


ともかく彼らは非常に厳しいルールを作り、それに背いたものをしばしば切腹させました。
だからといって彼らが高潔であったとか、逆に堕落していたとか言うのははなはだ短絡的であります。また「士道」に必要以上にこだわっているのも、彼らの多くが本来の武士ではなかったからです。

確かに武士道というのはすばらしいものです。道徳律というのはたいていどれでもすばらしいものです。
だからといってその時代がすばらしかった訳でも、その時代の倫理観がすばらしかった訳でもありません。
ボクは江戸時代や明治時代、(そして一部の方が唱える戦前)を闇雲に美化する人、そして現代をけなす人は「アブナイ人」と認識してます。識者と呼ばれる人なら特にです。
ゆえに一部の大学教授や政治家は嫌いです。
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2007年05月07日

久保田早紀さんと高田みづえさん

先月に続き昔話を。
あちこちで書いているのですが、ボクには距離感と音感がありません。
「駅から○○メートルくらいまっすぐに行くと」
と説明されてもぴんと来ないのです。面積も然りで、坪数もアール・ヘクタールも、平方キロメートルも、いずれで表記されてもぴんと来ない。「東京ドームの○○倍」と言われてもだめ。
音感。音痴ではないらしいのですが、ドレミもイロハもわからない。もちろん楽譜を見てもちんぷんかんぷんです。赤ちゃんの産声が「ラ」の音だそうで、このように言われると何とかわかります。だから教会で聖歌隊に入っていた頃は苦労しました。ボクが苦労したのではなく、ボクを指導する方が苦労したのです。
家でほとんど音楽を聞かなかったから音感がないのです。

中学高校になりますと友人との話題で音楽がある程度のウェイトを占めるようになってきます。当時はニューミュージック全盛でありまして、ボクの周囲では長淵剛さん松山千春さんが人気を二分していました。高1の合唱コンクールの自由曲も松山さんの「大空と大地の中で」。でもボクはまったく知らなくて。今でもそうですが、家でもほとんど音楽を聴かなかったのです。
ただ松山さんの「夜明け」という曲だけは、『詩とメルヘン』という雑誌に載っていたので知ってました。
*ニューミュージックという言葉自体、もう使われなくなりましたね。

そんなボクでしたが、久保田早紀さんだけは別でした。
「異邦人」で彗星のようにデビューしたのが1979年、ボクが中3の頃。そりゃもうものすごい人気で、音楽に無縁なボクでもさびの部分はいやというくらい聞きました。でも高校受験の真っ最中でしたから、きちんと聞いたことはありません。それに当時は世界史にはほとんど知らなかったので、「シルクロー
ドのテーマ」と言われてもまったく興味がわきませんでしたね。
*同年『3年B組金八先生』とその主題歌「贈る言葉」が大ヒットしましたけれど、これも知らなかった。

それが翌年の夏には久保田さんのファンクラブに入っていました。
当時購読していた『天文ガイド』という雑誌。この6月号に久保田早紀さんのインタビュー記事が載っておりまして、彼女も天体望遠鏡を持っていること(機種名や口径もすらすらと述べていた)や、彼女の曲すべてに無限・宇宙・自然というテーマがこめられているのだ、という言葉を見て、いっぺんに好きになってしまいました。
早速妹が持っていたファーストアルバム『夢がたり』を聴きますと、インタビューで仰るとおりのテーマを感じさせる、今までに聴いたこともない―といっても、今までほとんど音楽を聴いていなかったのですが―不思議な雰囲気の歌です。そして美しい歌声。高音になると少しハスキーがかかって、本当にきれいでした。容姿もかわいらしくて、当時近所に住んでいた従姉から
「東海クンはこういうコがタイプなんだ〜」
とからかわれたりしたものです。言われるたび「天文ガイドの〜」と必死で否定したのですけどね。

*実を言うとボクが好きだったのは、2こ年上の、ボクなんかより頭がよく、スポーツも万能だった、この従姉だったんですよ。

ボクが一番好きなのは、サードアルバム『サウダーデ』


特に「トマト売りの歌」というのがお気に入り。トマトは嫌いなのですけれどね。
シングルでは「ねがい」。実はこの曲をイメージに源頼朝の長女大姫、長男頼家を扱った歴史モノを書いたことがあります。小説というほどたいそうなものではなく、べたべたなロマン調で、多分に少女漫画の影響を受けたものでした。


高田みづえさんは高校3年の時にラジオで「愛の終りに」を聴いた頃からのファン。ファンとしては後発組で、当時はすでにアイドルという位置づけではなく、実力派の女性シンガーでした。
アイドル時代からみづえさんは歌唱力が高いと評判で、デビュー曲の「硝子坂」をはじめ「青春U」「真夜中のギター」「私はピアノ」「そんなヒロシに騙されて」などカバー曲が多かったです。
彼女の場合は歌よりも容姿に惚れた部分が大きかったかなあ。ボクにも思春期があったのです。年齢的にもちょっと年上のお姉さん、大人の女性を感じさせました。恥ずかしながら夢に見たことがありますよ。夢の中でデートをしました。恥ずかしい限りです。
ボク自身が高校生、大学生になっていたんで、追っかけなぞしませんでしたが、レコードはすべて買い集めました。後発のファンとしてシングルを集めるのに苦労しましたね。旅行などに行って、地方のレコード屋に入るのが楽しみでした。
苦労して集めたレコードですが、引越しを繰り返すうちにほとんど手放してしまいました。今でも数枚残ってますが、プレイヤがないのでジャケットを眺めるだけです。
しかし『高田みづえ全集』というCD6枚組みのが出ておりましてね、シングルAB面だけでなくアルバム曲もかなり入っている―といってもすべてではない―のを買いました。15000円もしたのですけれど。

大学時代にはMTVが放映を開始。プロモーションビデオというやつを流す番組。当時は新鮮でした。マドンナシンディ・ローパーマイケル・ジャクソンなどが大変人気がありまして、ボクも「スリラー」のビデオを見てレコードを買ったクチです。
*あの頃のマイケルはまだ見られる顔だったなあ

そんなこんなでやがて聴かなくなってしまったお二人の歌。それぞれが引退するときにはもう興味をほとんどなくしていたという薄情なファンでありました。
その後もたまにCDを引っ張り出して聴くことはあります。するとどうでしょう。10代20代では頭でしか理解していなかった歌の内容がわかるようになって。ボクも大人の経験を積んだということでしょうか。
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2007年04月03日

2号

新学期。我が甥も4年生になりました。
4年生の頃、ボクはウルトラマンや仮面ライダーといった特撮ものからそろそろ卒業していた時期かな。
それに比べて我が甥はもっと早くに卒業してました。

実は昨年公開された『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』。密かに期待してたんですよ、妹が
「わるいけど連れて行ってやって」
と言ってくるのを。
しかし甥っ子は三年生にしてもうそういったものからは卒業していたのでした。
ちょと寂しい。

ココに出てくるウルトラ兄弟、ちょうどボクが小学校低学年の頃、リアルタイムで見ていたんですよ。昔のままの役者さんを使っているでしょう? 予告編を見て、すごく懐かしかったですねえ。

昔は怪獣映画というと、子供だけのものだった(お父さん向けにグラマーな美女が出てくる場合もあった)けれど、今はお父さんたちも怪獣を見て来た世代ですからね、こういう企画は本当に面白い。

甥っ子もおととしくらいまでは、ウチに来ると仮面ライダーやウルトラマンを見ていたんですよ。もちろん現代のシリーズのやつ。ボクも仮面ライダークウガや555(ファイヴズ、だそうだ)などの人形を買ってあげました。
途中いくたびか中断はあったけれど、シリーズとして続いてるのはすごいですよね。

当時彼が好きだったので、も一つ、戦隊ものがあったけれど、コレは、ボクの少し下の世代から始まったから、ちょっとついていけなかった。
それでも人形を買ったり、「戦いごっこ」の相手をさせられたりするのはうれしく、懐かしいですね〜。

実はボクは仮面ライダーもウルトラマンも最初から見てはいないのです。ともに2代目、ウルトラセブンと仮面ライダー2号から(ウルトラはシリーズとしては三作目だけど、ヒーローとしては二代目なんだそうな)。
仮面ライダーも最初は地味だったけれど、2号になってから
「変身!」
ポーズがついて、もう大ブームになりました。

一番夢中になって見たのは『帰ってきたウルトラマン』と仮面ライダー新1号なんだけれども、今懐かしく思い出されるのはセブンと2号。

役者さんのインタビューや手記なんかを見ていると草創期の苦労やその後の苦労があったそうで、これまた興味尽きないですね。

ボクらの世代が親になったり、作り手側になったりして、上記の映画のような作品が作られる。これまた楽しいことですね。

仮面ライダーも、そして赤影も、是非。
(当時の役者さんも出してね)


*仮面ライダー1号、本郷猛を演じた藤岡弘さん。実は芸名が変わっていたんですってね。藤岡弘改め藤岡弘、さん。「、」を打っているのが変更点。決してモーニング娘。のまねではないですよ。彼の改名の方が古いのですから。
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2007年03月31日

残酷な天使のテーゼ

一人何役? サイコーですな

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2007年03月20日

ヴィヴとローリィ

シェイクスピアを読んだり見たり、調べたりすると、避けて通れないのがローレンス・オリヴィエ。
またヴィヴィアン・リーについて調べると避けて通れないのもオリヴィエ。
二人は『無敵艦隊』で初共演し、交際を始め、1940年結婚。60年に離婚。
オリヴィエによってヴィヴィアンのタレントはますます磨かれ、高められました。
Viv&Larryは理想のカップルとして、今でもファンが多いです。
Fire Over England
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2007年03月17日

ニルスのふしぎな旅


1980年放映のNHKアニメ。
とても美しい背景が印象的なオープニング。
オープニング、エンディングを歌うのは加橋かつみさん。とても澄んだ、りんとした声が絵とよくマッチしています。

原作は昔から有名でしたが、このアニメが放映されるまでは部分訳しかなかったそうです。
(現在は全訳が出ています)





加橋かつみさんはグループサウンド、ザ・タイガースのメインボーカリスト。ジュリーこと沢田研二さんや岸辺一徳さんとともに人気を博しました。といってもGSはボクよりひとつ上の世代。ボクはこの歌が出るまでは知りませんでした。
ザ・ダイガースはアニメ終了後翌年に再結成され、「色つきの女でいてくれよ」がヒット。ここでも澄んだ歌声で多くの人を虜にしました。



絵も音楽もすばらしいアニメでした。

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2007年03月13日

クーデルカ

以前「好きなゲーム」で紹介した、『クーデルカ』のオープニングです。

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2007年03月10日

当用漢字とハングル

ある方が長嶋茂雄さんにサインを書いてもらったときに
「草冠を離してかかれておられるので、ああ、長嶋さんは戦後世代とはいえ、戦前の教育も受けておられたんだなあと思いました」
と述べているのを読んだことがあります。
*草冠は旧字体(正字)では中央部を離して、四画で書きます。

茂の正字
ワープロでも「正楷書体」フォントを選択しますと、こうなります。

長嶋さんは1936年生まれですから、当用漢字の定められた十歳まではそれまでの旧字体で教育を受けたんですね。もちろん十歳で「茂」は習わないでしょうけれども、草冠は習いますから、それが残っているのでしょう。

当用漢字とは現行の常用漢字の前身であります。
漢字がいったいどれくらいあるのか。中国の康熙字典(こうきじてん)<という辞典によれば、47000字以上にのぼるそうです。

こうきじてん〔カウキジテン〕【康熙字典】
中国清代の字書。12集42巻。康熙帝の勅命により、張玉書・陳廷敬らが編纂(へんさん)。1716年刊。「説文」「玉篇」「字彙」「正字通」など歴代の字書を集大成したもの。4万7000余の漢字を楷書(かいしょ)の部首画数順に配列し、字音・字義・用例を示し、以後の字書の範となるとともに、漢和辞典における漢字配列の規準となった。
[ 大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

日本では大修館の『大漢和辞典』が5万字を収録。これが最大でしょう。


普通の漢和辞典で2万字程度。
ともかくたくさんありますから、公文書やビジネスで使う際にある程度制限を設けねばなりません。そこで「常に用いる漢字」という名前の「常用漢字」が制定されました。

じょうよう‐かんじ〔ジヤウヨウ‐〕【常用漢字】
1 (略)
2 昭和56年(1981)内閣告示の「常用漢字表」にあげた1945字の漢字。一般の社会生活で漢字を使用する際の目安として示されている。それまでの「当用漢字表」に新たに95字が追加された。[
大辞泉 提供:JapanKnowledge ]

ところが常用漢字以外の漢字もビジネスでは用いることが多いため、パソコンなどではJIS X 0208「7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化漢字集合」、いわゆるJIS漢字コード
第一基準、第二基準、および第三、第四基準があります。第一基準が常用漢字を中心とした2945字、第二基準が3390字。この二つがインターネットやパソコンで表示される「JIS基本漢字」です。2000年にあらたに制定されたJIS X 0213「7ビット及び8ビットの2バイト情報交換用符号化拡張漢字集合」、いわゆる「新拡張JISコード」では4000字あまりを追加、計11,233字となっております。
このJIS基本漢字6000字余りが、ビジネスや家庭で日常使用されている漢字の一つの目安となるのではないでしょうか。

じゃあ、常用漢字の前身、当用漢字とはどんなものかといえば、その名のごとく
「さし当たり用いる漢字」
であります。

日本が戦争に負けたときに、それまでの価値観が崩壊しました。
三浦綾子さんの『道ありき』にもそのさまが書かれていますが、昨日まで善いもの、立派だったものが今日からは教科書で墨で塗りつぶされる、抹殺されるものとなったのです。




敗戦のショックは大きかったらしく
「これからは米でなくパンを食べねばならぬ」
「漢字、仮名の使用をやめ、ローマ字にしよう」
といった極端な意見もお役人や学者さんから出ました。
そこまで否定しなくても、と思うのですが、それまで押さえ込まれていた左翼系の人々が鬱憤を晴らしたのでしょうね。それほどエキセントリックな意見でした。
しかし志賀直哉
「日本語を廃止して世界で一番美しい言葉であるフランス語にしたらどうか」
と提案した事実には驚きました。
さすがにこれらの案は見送られましたが、
「漢字は将来使わない方向で」
として「さし当たり用いる漢字」として当用漢字が1946年11月に定められました。制定当初は、上記のような背景があったため、制限が非常に厳しく、例えば魚屋さんは「魚」に「さかな」という訓読みが当用漢字表で認められなかったため「うおやさん」になったという、笑えない話が残っています。
また当用漢字以外が使われている専門用語も書き換え―例えば抛棄を放棄としたり、言葉を変えるか、かな書きにするようになりました。
また一部の漢字は字体を変えてしまいました。いわゆる「新字体」です。多くの場合は複雑な字を単純にした―例えば體→体―ですが、様々な問題をはらんでいます。
問題点については後日みてゆくとして、戦後の混乱期を経て、漢字規制は徐々に緩やかになり、当用漢字表も拡張してゆきました。もはや漢字を「さしあたって用いる」のではなく、永続的使用となったのですから、当用漢字の名はふさわしくなく、常用漢字となったのです。

ボクは当用漢字から常用漢字への移行期に教育を受けましたから、蛍、灯などは旧字で習いました。そして塾で教えるようになるまで、それを使っていました。長嶋さんの例のごとく、子供のころ覚えたものは体に染み付いちゃっているんですね。


ところで
「漢字仮名をやめてローマ字にせよ」
「米食をやめ、パン食にせよ」
という考え方、これはナショナリズムの裏返しにすぎません。決してグローバルなものではないですね。
このマイナスナショナリズムともいうべきものは日本人の特色なのでしょうか。
漢字表記をやめ、ハングルにしたお隣の韓国は、真逆をいっているようです。これはナショナリズムの発露であり、韓国の方はハングルに誇りをもっているんですけれど、
「漢字仮名をやめローマ字にせよ」
とした戦後直後の考えと、表層が実に似ているではありませんか。
根本は正反対なのに表層が似通っている、興味深いことだと思いませんか?




posted by タレイラン at 21:48| 🌁| Comment(4) | TrackBack(2) | 好き嫌い | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月06日

アドナン・ワ・リナ

Adnan Wa Leinaはアラビア語のアルファベット表記。「アドナンとリナ」という意味です。
『未来少年コナン』のアラビア語タイトルです。
宮崎さんも『未来少年コナンとラナ』をタイトル候補にしていましたから、アラビア語のタイトルもうなずけます。
そのAdnan Wa Leinaでこんな映像がありました。

とてもいい歌ですね。映像も歌によくマッチしていると思いますがいかがでしょうか?
posted by タレイラン at 00:00| 🌁| Comment(2) | TrackBack(0) | 好き | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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